エヴァンゲリオンというアニメをご存知だろうか。1990年代につくられたアニメである。
当時は、その独特な世界観により一大ムーブメントを起こし多くのファンの支持を得て
今でもその人気は衰えることがなく、新作映画が上映されるほどである。
このアニメの熱狂的ファンの層は年齢でいうと現在20~30代であると思われる。
話の内容は簡単に言えば少年がエヴァという大型の異生命体に乗り込み操縦して使徒
という怪物を殲滅するといったストーリーである。ところどころに旧約聖書にまつわる
単語、名称が出てきて終末観を醸しだしており、また最新鋭の科学技術や科学兵器が
登場してSF感を盛り上げているようである。
あらすじは以下のようなものだ。
物語の舞台は西暦2000年9月13日に起きた大災害セカンドインパクトによって
世界人口の半数が失われた世界。その15年後の西暦2015年、主人公である14歳
の少年碇シンジは、別居していた父、国連直属の非公開組織・特務機関
NERV(ネルフ)の総司令である碇ゲンドウから突然第3新東京市に呼び出され
、巨大な汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン(EVA)初号機のパイロットとなって
第3新東京市に襲来する謎の敵「使徒」と戦うことを命じられる。
当初はゲンドウの命令で、そしてEVA零号機のパイロットである少女綾波レイの
負傷を目の当たりにしたため仕方なくEVAに乗っていたシンジだが、使徒との戦い、
そして戦闘指揮官であり保護者役となった葛城ミサト、同級生鈴原トウジ・相田
ケンスケらとの交流によって次第に自らの意思でEVAで戦うようになる。第3、
第4使徒を倒し、戦線復帰したレイとともに第5使徒を倒したシンジに、新たに
ドイツから来日したEVA弐号機のパイロットの少女惣流・アスカ・ラングレーが
仲間に加わり、彼らは次々と襲来する使徒を迎撃し、たびたび窮地に追い込まれ
るも辛うじて勝利を重ねていく。
主人公の碇シンジが所属するネルフは国連に所属する機関で、人類を脅かす使徒
の殲滅が目的。対使徒戦では、国連から与えられた超法規的な権限を駆使し、
戦闘を繰り広げられる。そしてまたこのネルフの上位機関にぜーレという組織が
ある。この機関の目的は『人類補完計画』という計画遂行のために、秘密裏に
行動している。しかし、総司令の碇ゲンドウ(碇シンジの父)はゼーレの目的で
ある『人類補完計画』の遂行をしつつ、その計画を自分のものにしようとしていく。
その最大の目的は亡き妻である碇ユイとの再会である。エヴァ初号機の起動実験時
に失敗し、肉体と魂を取り込まれたユイに会うためだけに全ての計画を進め、ゼー
レの思う人類補完計画とは異なる目的のためにネルフ全体を利用してく事だ。
ゼーレが人類補完計画の目的としているのは、魂と肉体の解放による全人類の進化
と意識の統合による原罪からの開放である。人類は知恵と善悪の区別を得た時点
より、生まれた時から原罪を負っているという概念を有している。更に肉体も脆弱
であるので死の概念も存在する事になる。これらは旧約聖書になぞらえた世界観
であり死生観だ。そういった組織の思惑とは別に主人公の碇シンジは、人類に仇を
なす使徒という敵を殲滅するために日々、奮闘するのである。碇シンジは様々な
戦いを経験し、挫折、絶望、苦悩、希望などを味合う。そして悟っていくのである。
これは思春期の少年の心の葛藤を軸にした、一人の人間の成長の物語である。

という内容である。1995年にテレビアニメが放送されて以来、20年以上の歴史があり支持を
得ているアニメだ。その内容の難解さを、ものともせず今もって人気なのはなぜだろう。
このアニメの主人公は思春期のまっただ中の14歳である。その年齢付近の少年に訴える
重要な何かがあるに違いない。以下は、私が考えたエヴァンゲリオンの解釈であり、仮説で
ある。突拍子もない説だと思われる人もいるかもしれない。また私説であるが故に、アニメの
イメージを壊すかもしれないので壊したくない人はスルーしてほしい。
テレビ放送版のアニメで物議を醸したのが最終回の描写である。今までSFのロボット
調バトルであったアニメがその最終回に限って、ただの平凡な学生の日常の描写になるの
である。そして主人公の碇シンジを今まで登場した人物たちが取り囲んで「おめでとう」と
言って祝福するのだ。そして物語は幕引きとなる。当時このシーンを見た視聴者は、かなり
戸惑い、違和感を持ったようである。私も見たが、なんとも変てこりんな終わり方だと思った。
なぜ?というのが万人の意見であろう。しかしあとから考えてみれば私はこの物語は少年
碇シンジの空想だったのではないかと思うのである。つまり漫画によくある夢オチ、空想オチ
である。それでは碇シンジは周りの人達に何を祝福されたのだろうという話だ。それが
皆わからないから、ラストが稚拙だのゲテモノだのと言われているのである。 おめでとうと
言われているのだから、何か達成したか克服したというような事であるに違いない。その
答えがこの物語の真髄なのではないかと私は思う。私が考えるには、この物語は一人の
少年の思春期の性の目覚めをテーマにした物語ではないかと思うのである。「エヴァ」とは
旧約聖書の初めに登場する女性”イブ”の事であり新世紀とは、新しい大人の世界という
意味ではないだろうか。そしてこのエヴァンゲリオンには、いくつもの性的ニュアンスを漂わ
せるシーンが存在する。そして主人公の碇シンジの上司やパイロット仲間は女性ばかりなの
である。碇シンジの性格は優柔不断で”へたれ”というような設定であるが、女性のキャラク
ターに、いつも「男でしょ!」と発破をかけられているシーンは性的に、いくじがないと思われ
て非難されているように見えない事もない。
さて性的な隠喩は、そういった設定やエピソードだけではなく、本筋の設定にもいろいろ隠さ
れているようにも思われる。まず主人公が乗り込む”エヴァ”というロボット型の兵器であるが、
これは機械式のロボットではなく、怪物のような異生物を電気的な装置でコントロールして
操縦可能にしたものだという事だ。外見は一見するとロボットのようであるが、それは金属の
プロテクターを身にまとっているだけにすぎない。本当の姿は悪魔のような姿で残忍な様相
をしている。操縦パイロットはこの異生物とシンクロする事により、一体化して戦闘力を発揮
するというのである。この怪物の異生物であるが一体、何なのであろうか。私が考えるに、
これは少年が空想で具現化した”性衝動”ではないかと思うのである。また身にまとっている
プロテクターは、それを押さえる”理性”ではないかと思うのだ。性衝動を暴力的なイメージの
怪物に仕立てそれを理性というプロテクターを安全装置にして抑えている。まさに思春期の
少年の有様そのものではないだろうか。 主人公の碇シンジは性の欲求があると同時に性交
に対する嫌悪感を持っていると思われる。その嫌悪感の対象が迫りくる敵の使徒という怪物
たちであるのではないだろうか。その使徒の正体というのが外部から入ってくる性的な情報
や想像物ではないかということである。
碇シンジという少年は、大人になるのを不潔と考えているのであり、それに抗っているという
ふうに捉える事ができる。それらを跳ね除けるために、武装して使徒と戦うといった構図が
あるのだろう。その意図がわかりやすい使徒として17番目の少年の使徒というのがある。
名前を「渚カヲル」といいただの少年である。しかし碇シンジがこの少年に友達以上の感情を
露わにする描写があり淫靡を感じさせる。この使徒は同性愛の対象としての情報の具現化だ
と考えられる。しかし最後のほうでは、碇シンジが少年を使徒だと見破りエヴァの手を操り、
握り締めて殺してしまうのである。つまり同性愛は性欲の対象にはならないといった結論を出
したという事ではないだろうか。次に同様にエヴァに乗り込む同僚のパイロットの女性たちの
スタンスであるが、少年碇シンジは、これらの女性に性的な興味を持ちながらも、それと同時
に性的に、けがらわしい存在だと思いたくない感情を持っているのではないかという事だ。
それゆえに自分と同じように武装して迫りくる使徒を一緒に殲滅してくれる同志のような存在
に仕立てているとも考えられる。その後碇シンジは多くの使徒との戦っていくが、ストーリーの
第20話の回で幻想の世界の中で裸になった三人のそれらの女性たちにこう言われる。
「私と一つになりたい?心も体も一つになりたい?それはとても気持ちのいいものなのよ」とい
われるシーンがある。これは性交渉そのものの誘いに他ならないのではないだろうか。しかし
碇シンジは自問自答して、自戒し懊悩し苦しむのであった。そして最終回の第26話である。
碇シンジは空想の世界から戻り普通の中学生の生活に戻るのである。表情も、にこやかで
ある。登場人物がすべて碇シンジの周りに集まって「おめでとう」と言って祝福する。これは
碇シンジが性的欲求の嫌悪感から解放されたという事に対する賛辞なのだと思う。つまり
大人の階段を登ったという事なのだろう。またこの最終話のタイトルは「世界の中心で愛を
叫んだ獣」となっている。「世界の中心で愛を叫ぶ」でいいと思うのだが、わざわざ最後に獣
という言葉を使うところは性的な含みをもたせていて人間は所詮、けだものだと言わんばかり
で辛らつである。この作品の作者は庵野秀明という人らしいが、少し、へそが曲がっている
ような感じがしてならない。世の中をハスに構えて見ているのではないだろうか。こういった
事からエヴァンゲリオンはテレビ版の全話で完結していると言っていいのではないだろうか。
制作者は多くの人々から最後の話がおかしいと言われたから映画版の話をいくつか作らな
ければならなかったようであるが、それ以上進める必要はないように思われる。映画のほうは
多少の焼き直しの話か、別の世界線の話になっているように思われるのだ。故に以降の映画
版は必要ないと言っても過言ではないのではないか。
他にもエヴァンゲリオン用語なるものにファーストインパクト、セカンドインパクトという
造語があるが、この二つの災禍によりストーリーの中では地球の生物がだいぶ死に絶えた
という話である。 これは第一次性徴期、第二次性徴期の事を表しているのではないだろ
うか。人間一個人の話に置きかえれば大変動の出来事でもあると言ってもよい。特にセカ
ンドインパクトの第二次性徴期というのは男性は精通、女性は生理というものがあり、動揺
も大きい事からして大変動の時期だという事だ。空想の世界に置き換えてみれば、自分の
今までいた世界が崩壊したような大惨事だったという事に他ならない。またもう一つ、エヴァ
のATフィールドという防御バリヤのようなものがあるがこれは性的な情報を遮断するという
意味合いのものではないかと想像することもできる。考えればいくらでも性的な隠喩に当て
はめることができるのではないだろうか。
これらの私の説は辻褄が合っていると思わないだろうか。エヴァンゲリオンは思春期の少年
が性というテーマで悩み、葛藤する物語であるという事が裏の設定としてあるのだと思えば
難解でもなんでもないのである。
そして表の設定であるが、旧約聖書になぞらえて人間の未来を全く違う世界に変えようとして
いる。ドグマという宗教的な教義に基づいて世界中の人々を人類を完全なる単一生物へと
人工的に進化させるというプロジェクト。それが人類補完計画というものであるようだ。
人々の心も体もすべて融合させて溶けこませて一つにするという計画である。こういった設定
のアニメは他にもあり、私がずっと以前に記事で書いた「コードギアス」というアニメでも同じ
ような計画を設定しているようである。また陰謀論で言えば前回私が記事に書いたイルミナ
ティの目的も似たような計画があることを示唆している。そういった事を考えればエヴァンゲリ
オンは、闇の計画を代弁していると言ってもいいのかもしれない。
エヴァンゲリオンは旧約聖書と人間の性の問題を、うまく擦り合わせて融合させているスト
ーリーだと思われる。闇のイルミナティーの世界の人口の削減計画と、思春期の少年の性と
いうものを何かしらの意図でリンクさせようという事であるなら、このエヴァンゲリオンを見て
いる青少年たちにどんな影響を与えるのであろうか。そして随所に見られる旧約新約聖書の
用語である。旧約聖書ではアダムとリリスが主に取り上げられ、新約聖書ではイエスキリスト
を処刑したロンギヌスの槍や死海文書の救世主などが取り上げられている。まるでユダヤ教
やキリスト教の物語や教義に関心を向けさせているようにも思われる。この物語の作り手は
意図してやっているのだろうか。 いずれにせよこのエヴァンゲリオンは闇側の意図を盛り込
んだものだと推測される。闇勢力の計画は人口削減、世界統一、人類は個を捨て一つの
生命体になるべき、といったようなものである。エヴァンゲリオンにはこれらの要素がすべて
入っていると言っていいだろう。若い人はこの物語が性をテーマにしたものであると気づいて
いないかもしれない。しかし潜在意識の中で、この物語の真意を無意識に認識しているのか
もしれないのである。だから熱狂的なファンが多く存在するのだ思う。
この物語が若い人たちにとって、愛蔵書になるか禁書になるか人によって違うかもしれない。
少子化の問題が叫ばれている昨今、若い人たちが子孫繁栄に対して、どういう方向性をこの
物語に見出すのか、それが問題だと言っても過言ではないのではないだろうか。
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