
アタックNo,1という漫画をご存知だろうか。原作は1960年代後半から1970年前半
にコミック掲載されたスポーツ少女漫画である。この漫画はつい最近テレビドラマで
放送され上戸彩が主人公の鮎原こずえ役をやっていたようだ。内容は主人公の鮎原
こずえが富士見高校のバレー部のキャプテンとしてバレーボールに情熱を燃やし、
様々な試練を乗り越えて世界をめざすというスポーツ根性漫画である。集スト被害者
の中には、この漫画をテレビでリアルタイムで見ていた人も多いのではないだろうか。
私がこの漫画をテレビで見たのが10歳ぐらいだったので、45年も前の作品という事
になる。
私は最近テレビというものを見なくなったのでネット上で見られるドラマやアニメでいい
ものが無いか探していた。するとアニメのアタックNo,1が目に止まった。なつかしいと
思って初めの一話だけでも見ようかと思い見たら結局全話、最終回まで見てしまった。
あらためて見て面白いと思った反面、このアニメにはいろいろ不審な点が多いと思った
のだった。中でも一番犯罪色の強い回は69話~78話でこれは集ストに一番近い
ストーリーであろう。あらすじは主人公の鮎原こずえがいつも正体不明の男に撮影機
で自分の試合中の姿を撮られている事に気付き、気にし始める事から始まる。そして
ある日一人になったところを数人の男に襲われ車の中に拉致され、その車の中で奇妙
な検査をされる事になるのだ。他のライバル校の仕業であろう。筋電図などの運動
機能を測る装置や解析装置で鮎原こずえの運動能力のレベルを計測しデータを集めて
試合の対策を練ろうという魂胆だ。検査中鮎原こずえはこれらがどこかのライバル校の
仕業だと考え正体をつきとめようと決心する。検査が終わり車から放り出されたこずえ
はその車を追いかけたが、途中でどこかの女子高生とぶつかって押し問答なり、車を
見失ってしまう。そのぶつかった女子高生は以前にいざこざで因縁のあったバレーの
ライバル校の生徒であった。鮎原こずえは車の追跡を阻止されたのはこの生徒が逃走
した車と同じ高校の者で、逃がす意図があったのだと考えて問い正そうと詰め寄る。
そしてもみ合ううちに相手が窪地にすべり落ちて怪我をしてしまうのだった。(後日
誤解だとわかる。)

筋電図をとられる鮎原こずえ 他校の生徒に怪我を負わせる
アニメではこれにより鮎原こずえはバレー選手権の一回戦を出場停止という処分に
なる。しかし犯人はわからず終いであった。その後ストーリーは進み、いろいろな工作
は東南学園という高校の仕業だとわかる。そしてコンピュータバレーと言われるその
東南学園と決勝戦を行い富士見高校は見事に勝利するのだ。
これらのストーリーの流れは幾分集ストに似ているよ思う。まずいつも試合中に自分
の姿を撮影されているというのは監視されているという事であろうか。また、車の中に
押し込まれて筋電図などをとられて検査されるというのは、我々被害者がいつも頭や
体をスキャンされているのと同じである。そして人に対して疑心暗鬼になり問題を起こ
してしまったヒロインの姿は私達被害者の姿に幾分重なるものがある。集スト、テクノ
ロジー被害者は被害初期にはノイローゼ状態でちょっとした事でも相手に何か意図が
あると思い込み工作を仕掛けているのではないかと疑い相手に詰め寄ったりする。
こういった精神状態はほぼ同じであろう。
あとこのアニメでは車がよく出てくるが、そのナンバープレートにも暗示的な意図があ
るように思える。集ストなどでよく議論されるのはゾロ目のカルトナンバーであるが、
私はリピートナンバーというやつもよく見せられる。例えば46-46とか38-38
などのナンバーだ。これらはアニメの中で頻繁に現れる。ゾロ目などはアニメの設定
上適当につけられる可能性があるかもしないが、リピートナンバーは故意だとしか思
えず、ゾロ目よりも不気味である。

リピートナンバー 数字の4をつけて5ケタ?
アニメにはまだいくつかの不審点があるが、それにもましておかしい点が多いのが
原作の漫画本である。私には妹がいたので少女漫画本も当時いくつか読んでいた。
その中にはアタックNo,1の原作コミック本もあったのであるが、その原作の中でおか
しいと思ったのが鮎原こずえのボーイフレンドの一ノ瀬務の扱い方であった。鮎原
こずえのいとこなのだが、このキャラクターの運命というのがまた悲惨きわまりない
のだ。アニメにおいてはこの一ノ瀬務は、こずえの恋人的存在で、交通事故に合い
非業の死をとげ悲しむのだが、原作本では主人公こずえにとっては恋愛感情は無く
ただのボーイフレンドであった。そして同じように非業の死をとげるのだが、その死に
方がだいぶ変わっている。原作本のほうの務の死は電車の線路に飛び込もうとした
自殺志願者を助けようとして自らが犠牲になるという非常に陰惨なものになってい
るのだ。私は何回か自分のブログの中で踏み切り内に閉じ込められた老人を助け
ようとした人や自殺志願者を助けようとした人など、正義感の強いゆえに身代わりに
なって死んでしまった人の話を書いた。そしてそれは闇側の誘導だという事を書いた
が、この原作本の話は全くそれらと同様であり、薄気味悪いものと言えるのだ。
そして原作本のほうはさらに一ノ瀬家を不幸のどん底に叩き落とすのである。務が
死んでから後、務の父親も脳溢血で亡くなってしまうのだ。本当にこのエピソードは
ストーリーの中に必要だったのだろうか。原作のほうでは務の死は鮎原こずえに
とっては、さしたるショックではないようであったが、ではなんのために死なせたのか。
また不必要な父親の死は何のためだったのだろう。全く不自然だ。私は察するに
これは,ある人間に対する仄めかしや暗示ではないかと思っている。つまり70年代
初頭にはもうテレビや雑誌による特定者への仄めかしは始まっていたという事だ。
集ストやテクノロジー犯罪などという言葉が無かった時代。ましてやネットなども
存在しない時代にこういう事をやられた被害者はいったいそれらをどう受けとめた
のであろうか。恐怖を感じたであろう事だけは想像にかたくない。
アタックNo,1のアニメはデイリーモーションという動画サイトで簡単に見ることがで
きる。興味のある人は見てみたらいかがだろう。
最近リニューアルされて実写化されたアタックNo,1であるが、主人公の鮎原こずえ
役を創価学会員の上戸彩がやっている。これも何かの仄めかしの暗示だろうか。
そう言えば”こちら葛飾区亀有公園前派出所”という漫画のテレビドラマも創価学会
員と言われている香取慎吾が主人公をやっている。また70年代のアニメ”ど根性
ガエル”もテレビドラマ化されたが主人公は、これもまた創価学会員と噂されている
松山ケンイチなのだ。創価はアニメの主人公に学会員を据えるのが好きならしい。
こういった事で子供や若い人間に創価学会をアピールしているのだろうか。アニメ
の主人公を学会員の俳優にやらせファンにさせ、その後俳優が学会員だとわかれ
ば入信する人間が多くなるといった算段か。
アタックNo,1の他にも多くの漫画に集ストの暗示だと思われるようなシーンやエピ
ソードは見られる。機会があればまた紹介してみたいと思う。